徒然なる挽歌

ゲイが苦手なゲイの記憶と記録

俺はいつ自分が「ゲイ」だと気づいたのか(中編)

前回の記事では、幼稚園児から小学生のときの経験について書きました。今回のメインは中学時代。このころになると、同性愛者としての傾向が強く出始めます。

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ファイナルファンタジーX』の甘く切ない物語に涙したあと、新たな日々が始まった。中学生になったのだ。

急激に視力が悪化した俺は、早い段階で眼鏡をかけることになった。成績が良くスポーツが苦手で痩せていたことから、俺は「ガリ勉」と呼ばれるようになる。

しかし俺は勉強もほとんどしていなかった。1日1時間も机に向かって予習・復習をすれば、中学3年間は常に上位の成績だったのだから。

 

さて、中学でも俺と仲良くしてくれる女子はいたが、特に誰かと付き合うことはなかった。何度か告白されたこともあるが、すべて断った。

友人は「もったいない」と言ったが、俺には余計な労力のほうがもったいなかったのである。それより俺には気になる人がいた。

どんな学校にもクラスに1人や2人くらいは、素行の悪い者がいるだろう。俺はそんな不良少年Sに想いを寄せていた。

 

Sは長身で肌が白く、目が細くて鋭かった。いかにも不良らしい乾いた声で、ほかの生徒とは明らかに異なる、香水と煙草の混じった匂いが印象的だった。

俺が11歳のときに死んだ親父がヘビースモーカーだったこともあり、俺には煙草の香りがよく分かった。

Sにはいろいろ悪い噂があって乱暴なことで有名だったが、なぜか俺には優しかった。本来であれば、成績優秀な俺と不良の彼が関わることなどないはずだが、俺たちはたまに言葉を交わした。

学校の敷地の隅には、不良少年たちが集まって煙草を吸う場所があった。動物園のような騒がしい教室から逃れるために、いつしか昼食後に「喫煙場」の近くで時間を潰すことが日課になっていた。

Sの乾いた声や彼の仲間の騒ぎ声が聞こえてくる。そこは俺の憩いの場となった。地べたに座ってヘッセを読みながら、ほんのりとした煙草の香りを味わうのは至高のひとときだったのである。

 

俺の性質は幼いころから決して善良なものではなかった。ただ大人しい性格で成績も良かったために、勝手にそのようなイメージがついただけのことだ。

しかし俺はそれに逆らうことはせず、大人たちの期待を満たすために真面目な生徒を演じていた。

思えば俺のSに対する感情には、自分には決して成しえないであろう反逆への憧憬のようなものも含まれていたのだろう。

だとすれば後年になって顕在化した俺のホモセクシュアリティは、社会に対する反逆の一環であるかのように見えるのは、何という皮肉だろうか。

 

さて、俺にはあと3人ほど気になる男たちがいた。彼らはみんな俺より背が高いスポーツマンで、その男らしいところが俺を魅了したのだろう。

特に俺が心を奪われていたのは、目鼻立ちが整ったイケメンで成績も良く、スポーツ万能なサッカー部員Tだ。彼より魅力的な男を後にも先にも俺は知らない。

明らかに「ジャンル」が異なる俺たちだが、不思議と疎遠ではなく、一緒に下校したり試験の点数を見せ合ったりすることが多かった。

今思い出しても不思議なことなのだが、Tはよく俺のことを「かわいい」と言っていた。ときには俺の耳元で何やら囁いてくることもあった。

Tは明らかに「モテる」男だったが、彼の女の噂は中学3年間で一度も聞いたことがなかったように思う。後編でも改めて触れるが、もしかすると彼が俺と「同類」だった可能性もあり得ないことではないだろう……。

 

もし当時の俺が「同性愛」という概念を理解していれば、その後の俺の人生は大きく変わっていたかもしれない。

確かに俺は頭の良い少年だったのかもしれないが、人生における実用的な知識がほかより明らかに欠けていたがゆえに、思春期の大切な機会を逃していたように思う。

後年になって俺がBL小説のようなものを書くようになったのも、あのころの愚かさが開けた心の穴を埋めるためなのかもしれない。

 

……俺の中学生活はそんなふうに過ぎていった。前述したように女子から告白されても付き合うことはなく、そうかといって男子に想いを告げるようなこともなかった。

中学3年にもなると、ほとんどの少年は色気づいて愛や恋に想いを馳せるようになる。俺の身体も大人に近づいていたが、俺はまだ彼らに対する感情にそうした名称を与えていなかった。

おそらく生まれながらにして、俺は他者との関係性を推し量る能力を欠いている。だからこそ当時の俺には、友情と愛情の違いが分からなかったのだろう。

 

高校受験のシーズンが近づいていた。今でもこの傾向は変わっていないようだが、田舎では私立より公立のほうが学校のレベルが高い。

俺は母や担任教師の勧めで、自宅から最も近い公立進学校を受験することになった。特に努力することなく、俺は前期試験で志望校に合格した。

卒業式の日に不思議なことがあった。友人たちと簡単な挨拶を交わしたあと、俺は母とレストランに行った。これは以前からの約束だった。

それから家に帰ると、電話に着信履歴が入っていることに気付いた。俺も母も知らない番号だったが、母には心当たりがあるらしかった。

どうやら母によると、卒業式の日に一度だけ電話をかけて、相手が出なかったら諦めるという不思議な風習があったらしい。

母はニヤニヤしながら「掛けなおしてみたら?」と言ったが、俺はそのまま捨て置いた。仮にその電話番号がSやTのものだったら、俺は間違いなく掛けなおしただろう。

 

俺の中学生活はこんな感じで過ぎ去りました。明らかに同性愛者的な傾向は出てきましたが、はっきりと「男性が好き」と自覚することはありませんでした。

本シリーズのラストとなる「後編」では、SNSを通じて自身の性的指向を自認する経緯についてお話しします。

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