徒然なる挽歌

ゲイが苦手なゲイの記憶と記録

俺はいつ自分が「ゲイ」だと気づいたのか(後編)

前回の記事では、中学生のときの経験について書きました。今回は俺が高校時代にSNSなどを通じて、最終的に同性愛者であることを意識するまでの流れについて語ります。

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高校生になった俺はますます陰気さを増し、クラスでは孤立することが増えた。元サッカー部のイケメンTも同じ高校に進学したが、彼は同じクラスではなかった。

俺はいわゆる「特別進学クラス」に振り分けられ、クラスメイトは成績優秀な生徒が大半。しかし、同級生とはまったく話が合わず、私は退屈していた。

まず話が合わない。周囲はテレビ番組やゲーム、女子などの話題に熱中していたが、俺が興味を抱いていたのは哲学や文学、物理学だったのだ。

 

携帯電話を買い与えられた俺は、休み時間はネットを見て過ごすことが増えた。どういう経緯かは忘れたが、俺はGREE(グリー)というSNSを始めた。

プロフィールを作るだけではなく、コミュニティに参加できることや自由に日記を書けるところが気に入ったのである。

学校では「友人」と呼べるような者はいない俺だったが、GREEでの友だちはすぐに増えていった。俺は毎日のように日記を書きなぐった。

やがてあるコミュニティが俺の関心を惹いた。それが「Emo Boys」である。Emo Boysとは、「エモ(Emotional Hardcore)」というジャンルの音楽を聴く美少年のことだ。

今では「エモい」という言葉が当たり前のように使われているが、その由来のひとつがエモ系の音楽だ。エモについては別記事で詳しく話そうと思う。

 

さて、Emo Boysコミュニティの運営者のプロフィールを見ると、「バイセクシュアル」と書いていた。しかし俺にはその意味がよく解らなかった。

調べてみると、バイセクシュアルとは「男性と女性の両方に魅力を感じること」らしい。その流れで俺はホモセクシュアルつまり同性愛という概念も知った。

自分がなぜ男友達と同じように女から肉感的なものが得られなかったのか、そのとき俺はあたかもバラバラのピースがひとつになったかのように理解できたのだ。

しかしながら潔癖症気味の俺は、「アナルセックス」という風習を嫌悪した。つまり、すでに俺はマイノリティのなかでもマイノリティだったのである。

 

それから俺の世界は驚くほど広がった。Emo Boysについて調べると、海外のEmo Boysの多くが「Myspace」というSNSを使用していることが分かった。

Myspaceは基本的にアーティスト同士が交流するためのものだが、現在のFacebookのように一般ユーザーも多く登録し、コンテンツの共有などを楽しんでいた。

何事も行動が早い俺は、すぐに自分のMyspaceページを作成してEmo Boysっぽい顔写真も載せた。もちろんプロフィール文章は英語で詳細に書いた。

現在の俺は英語で情報を収集することが多い。俺が英語に対してまったく抵抗を感じなくなったのは、このころの経験が大きいように思う。

 

ちなみに、Emoの定義は時代によって異なる。詳細は別記事で語ることになると思うが、俺がEmoという場合はほとんど2000年代の「Millennium Emo」を指す。

MyspaceのEmo Boys界隈には、北米はもちろん欧州からもたくさんの美少年たちが集まっていた。彼らは好きなEmo Songを仲間と共有するために、プロフィールにYouTube動画を埋め込んでいた。

俺が15歳のときに黎明期のYouTubeを知ることができたのも、こうしたEmo文化のおかげだ。だからこそ俺は、今どきのYouTubeを心の底からつまらないと思えるのだ。

さて、あるEmo Boyのプロフィールを見たとき、俺は世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。Silversteinの『My Heroine』を聴き、Screamo(スクリーモ)というジャンルを知ったのである。

 

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俺は同級生とは決定的に異なる日常を送るようになった。EmoやScreamoを聴きながらGREEで日記を書きなぐり、海外のEmo Boysに耽溺する日々であった。

実はこのころ俺は鬱病を患っており、高校2年の夏ごろから学校にはほとんど通わなくなっていた。その理由のひとつが性的指向であるが、ほかの要因のほうが大きかった。

いずれにせよ俺が人生で最も暗いときを乗り越えることができたのは、SilversteinをはじめとするEmo/Screamo系バンドとEmo Boysコミュニティだといっても過言ではない。

だからこそ、メタルヘッドメタラー)になった今でも、このとき熱中していた音楽を改めて聴くと、まるで故郷を懐かしむかのようなノスタルジアを感じるのである。

 

高校1年の終わりごろだと思うが、イケメンサッカー少年のTが突然退学した。友人から聞いた話によると、「自分探しの旅」をするためだったらしい。

彼の中学時代の行動から考えてみると、彼もまた自らの性的指向に悩んでいた可能性はゼロではないだろう。俺はこのとき【誠実で聡明な者ほど苦労する】という世の中の摂理を悟った。

Tが去った高校に俺の理想を満たせる男は居なかった。だから俺が高校生のときに誰かと恋愛をすることはなかった。

しかし、少なくとも高校1年生のときには自分がゲイであることや、他人と同じような人生を送ることは決してできないことを確信した。

 

……このように、俺は幼いころから通常とは異なるところがあり、年齢を重ねるたびにその違いが大きくなっていきました。そうして15歳のときに自分の性的指向を自認したのです。

高校を卒業した俺は東京の専門学校に進学し、ゲイとしての人生を歩みだすことになります。しかし、そこで俺は「マイノリティのマイノリティ」であることを痛感し、やがてゲイの世界からも離れることに。

これらの出来事や思い出については、今後少しずつ語っていきます。今回は3回にわたるシリーズをお読みいただき、誠にありがとうございました。