徒然なる挽歌

ゲイが苦手なゲイの記憶と記録

【辛辣】ゲイアプリについて思うこと【本音】

田舎暮らしでリアルでの出逢いの機会がないこともあり、俺はしばらくのあいだゲイアプリを利用している。しかし、ゲイアプリにまともなユーザーは皆無だ。

ゲイアプリを使っていると、ユーザーの大半がボットや猿のように思えてならない。まず人間的な相互のコミュニケーションが取れない。明らかに人として大切な何かが欠けている。

かつて石原慎太郎が同性愛者について、「どこかやっぱり足りない感じがする」と言ったが、少なくとも日本のゲイ(男性同性愛者)について、俺はこの発言をまったく否定しない。

 

また、ゲイアプリの品質そのものも劣悪である。ゲイという種族の「刹那的な快感」を求める浅ましさゆえに、ゲイアプリの大半はセックスのために存在する。

これは日本国内のみならず海外のゲイアプリでも同様。ゲイ特有の見た目ばかりの薄っぺらい価値観をアプリが増長し、ユーザー個人の「内面」を知る機会など与えられない。

その点では、かつて存在した「メンミク(Men's Mixi)」は素晴らしかった。メンミクには日記を執筆・公開できる機能やコミュニティなどがあり、ユーザー同士のコミュニケーションが盛んだった。

しかし、そんなメンミクはある日突然サービスを終了。それ以降は劣悪なアプリの時代となる。結局のところゲイはセックスの奴隷なのだから、刹那的な出会いの需要が高いということなのだろう。

 

ゲイアプリのユーザーはとにかく意味不明・理解不能な言動が多く、コミュニケーション能力が低い。まずプロフィールの文章を読まず、仮に読んだとしても内容を理解できない。

いざメッセージを始めても、短文の連続で会話を広げようとせず、自分が知らない・興味のない話題になるとすぐに逃げる。そのくせプロフィールには「真剣な出会いを探してる」などと書いている。

ゲイに限らず日本人は基本的にコミュニケーション能力が壊滅的で、相手と対話して理解を深めようという努力をしない。なぜなら「他人に察してもらう」ことが当たり前で、甘え切っているからだ。

だから俺は、外国人を相手にするほうが気楽でスムーズな会話ができるし、実際に俺の昔の恋人は外国人ばかり。日本のゲイ界隈はコミュニケーション能力も知性も劣っている人が多すぎる。

 

外国人のゲイ友達に聞くと、ほとんどは口を揃えて「日本人のゲイは変な人が多い」と答える。意思や感情を言葉で表現しないから、お互いを理解し合えないのがつらいのだ。

さらに日本のゲイは平気で嘘をついたり浮気したりするし、人目を気にしすぎるから一緒にいると精神的に疲れてしまうという声も多い。俺にはこうした外国人ゲイの苦悩が痛いほど分かる。

俺はもともと「低レベルな人間と付き合うくらいなら独りのほうがマシ」だと考えているから、どうしても恋人やパートナーが欲しいというわけではない。

しかしながら、改めて日本のゲイ界隈を見てみると、とても同じゲイだとは思えないほど低レベルな人が多すぎるので恐ろしくなる。やはり俺は「独り」を貫くべきなのだろう。